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おふだの賞味期限

神社やお寺、あるいは拝み屋さんなんてこともあるかもしれない、そんなとこで手に入る御札。
あれの賞味期限についてちょっと考えました


(滋賀県比叡山奥比叡横川元三大師堂)

事の発端
Twitterでのこんなやりとり


お札や縁起物の消費期限、一年で寺社に返されてお焚き上げされ、また新しいのと交換され続けるサイクルを作る。
なんでそんなことをするんだろうと、こんな感じの話をしたので、メモ代わりにまとめておこうと思います。


もともと日本のカミは一定サイクルで消耗と再生を繰り返す習性があります。伊勢のミアレの祭や、諏訪の御柱なんかその名残で、実際根は深い。
天照大御神でさえ、天岩戸神話からわかるように消耗と再生のサイクルを持っています。
神社の年に一度の例大祭とは1年かけて消耗したカミを慰撫し、再生する仕組みでもある訳です。

そして、消耗と再生のサイクルから外れたモノは、化ける。


札ってのは携行できる神威ですから、それがカミと同じように消耗してくって考え方は自然と発生したと思います。

またこれは私の考えだけど、守り札の消耗に関してはカミの再生のサイクルを根として、もうひとつ、村々を回る漂泊の宗教者の存在があったとおもいます。

それは巫女だったり六部だったり、彼らは季節の節目単位でムラを訪れる異人だったりする訳です。
彼ら漂白者達が年末年始、あるいは節分などにムラに訪れて祭文を捧げたり、なんらかの儀式を行ったりしていたのは、今も花祭りなどの行事からわかります。

そして、彼らが配る写経やお札もそうやって年単位のサイクルで供給されるものだった訳です。
新札やお守りなどの縁起物を1年で寺社に返し、お焚き上げするという習慣を生んだのは、そんな市場から培われた意識だったのかも知れませんね。


(牛王宝印 大阪)
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  1. 2012/10/18(木) 02:27:38|
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